散文

 

 

砂の記憶

 

 

剥がれた仮面は

刃で裂かれ

夢の底に沈んでいた

 

瓦礫の向こう

 

渇いた苔は

雨に濡れ

乾いていた

 

夏の盛り

 

醒めた昼は

月を齧り

夜を嗤っていた

 

白い手

 

 

震えていた筈だった

手が 右手が

指の先

微かに

精神安定剤のまどろみの中

闇の中

焦げたゴムの臭い

伸びて来る

白い手

忍び寄る

喉を 首を

締め上げる

手術台の棘の上 ふぐり

縮みあがり

鎮静剤の 注射針の 海の中

苔だらけ拘束衣

緑色の雲の上

笑う

マスクの男

夏 白く濁り

鍋の底

溶けて

蕩けた

チーズのように 天井

眩く光り

私は抉り取る

肥えた腫瘍のような太陽を

電気メスを手にして立っている

砂漠の上に

めくらの烏が墜ちて来る

青い空から

こんちくしょうときんたまを

毟り取りにやって来る

大烏の嘴 開き

口蓋の奥 白い舌 こちらに向かい

森の奥から現れる

赤い蜘蛛

腸管の中 這いずり回り

また血の皮膚を抉るのか

 

夢の中の出来事 (1)

 

 

 ー小さな窓から柔らかい陽が射し込んでいる。犬が吠えている。真黒な体の中の眼が私を見ている。私も見ている。そちら側には戻りたくない。でもそれは叶わない。私は病院のベッドに寝ている。コンクリートの壁には白い布、リネンが画鋲で留められている。土が喉元まで詰まっていて苦しい。どうにかしなければ窒息してしまう。私は指を口の中へ突っ込んだ。誰かが耳元で呟いた。そんな事をしてもお前は良くならない、酷い代物だ。呻いていると、腹の中の膨らむ実、酸漿の熟れた果肉が、ぐにゃりと潰れた。床が揺れだした。突然サイレンが鳴る。私は機械のように立ち上がると、空しく筆を取り、足元の錆びた缶の中、赫い塗料に筆を浸け、白布目掛けて投げ付けた。誰かが階段を上って来る気配がする。奥歯がぐらぐらしている。早く何処かへ逃げなければいけない。後ろからは、私の投げ遣りな態度に腹を立てた男、粗探しをする白衣の男が近付いて来る、注射器を手にして、近付いて来る。私は冷蔵庫を押し倒し、窓から飛び降りた。葡萄ジャムの匂いがした。急な下り坂を私は走っていた。ザラザラとしたコンクリートの壁に腕を擦り付けながら、私は突っ走っていた。勢いが増し、足は止めようと思っても止められない。上半身が取り残されている。目の前には何処までも続く下り坂。このままだといつかぶつかる。壁に、ブロック塀に、ぶちあたる。鶴嘴で砕かれ、粉々の、濡れた頭蓋骨。心臓が飛び跳ねている。男が居る。俯いて、立って居る。白いヘルメットを被った白衣の男、鶴嘴をぶらぶらさせて、待ち構えている。私はブレーキの効かなくなった足を無理矢理に躓かせた。顔は固い地面に打ち付けられたようだー。

 

夢の中の出来事 (2)

 

 

 ー私はある尖った岩の頂に立っていた。目の下には水底まで暗くどんよりとした世界が広がっていた。私は怖い物見たさにその奈落の底を覗き込んでいた。ああここがあの有名な底なし沼に違いない。水面まで九メートル。私は飛び込まなければならない事に気がついた。どうして私がそんな事をしなければいけないのか。猿を釜茹でにした罰。始めは切羽詰まっていたわけではなかった。まだ心に余裕さえあった。しかし恐怖は私を狙撃手に変貌させた。私は沼の中を泳ぎ回っている黒い影に狙いを定め引き金を引いた。弾は錐揉みして背骨を砕き、脳にめり込み破裂した。影は水中でのたうつとぬるぬるとした黒い躯をくねらせながら暗い底に落ちて行った。下には白い腹を見せて幾匹かの影が死んでいた。私はライフル銃を別の爬虫類に向けた。金木犀の花の匂いがした。足はブロック塀の上にあった。咄嗟に睡眠薬を飲み過ぎたと後悔した。父と母の背中が見えた。気がつくと私は土砂の流れの中にいた。ぐるぐると回転していた。玉砂利が川底を動いているのが見えた。私は流されていた。後ろからも流されて来る、決壊した橋の下から、次々と、膨らんだ黒いゴミ袋の中で息を殺したぶよぶよのつちのこもどき。私は固形石鹸をタオルで包みその端を掴むとそいつの頭を叩き潰した。溶けたそいつは排水溝に吸い込まれて行った。私は湯煙の充満する湯舟に浸かりながら崖の下に流れ落ちたそいつを見ていた。そいつは不安そうに行き先を思案していた。途方に暮れていた。笑いが込み上げてきた。私は満腹になった。でも、もう駄目だ。飛び掛かって来る。口の中に飛び込んでくる。私はそいつを食べるのだ。噛み砕くのだ。飲み込もうとするのだ。飛蝗の脚が喉に引っ掛かる。私は泡を吹き気絶する。そして死ぬに違いない。飛蝗はかまどうまだ。ゆっくり、ゆっくり、そいつは長い二本の触角を駆使して私の顔へ、口の中へ、ゆっくり、ゆっくり、苔の生えた石段を登って来るー。

 

夢の中の出来事 (3)

 

 

 ー目の前には緑の田園が広がっていた。山の向こうの遥か遠くで黄色い稲穂が揺れていた。私は田圃の真中に立っていた。緑に囲まれて嫌な予感がしていた。甲虫を取りに入った山の奥の寺で出会った子供の顔が蘇って来て恐ろしくなった。焦げ臭い匂いがした。なんの匂いだろう。河童の鳴き声がした。膝の後ろが無防備だった。また狙われる、あれほど警戒していたのに。河童は歯をガチガチと鳴らしながら私の周りをぐるぐると回っていた。膝の後ろを狙っていた。目を合わせないようにしていた。しかし私はその突き刺すような視線を背後に感じて思わず振り返った。眼が合った、その途端、私の膝裏は河童の爪、剃刀のように鋭い刃で引掻かれ、切れた。まずい、もう一度襲って来る。私は知っていた、今度またやられると命が亡い事を、喉笛を掻っ切られる事を。私は覚悟した。一か八かだ。私は襲ってきた河童の顔を思い切り蹴飛ばした。河童はきいきい鳴きながら飛び跳ねて、緑の茂みの中へ消えて行った。私は軽くなった。冷たいラムネが飲みたい。私は長い石段を登り切ると涼しそうな竹林の中へ駆け込んだ。湿っていて暗かった。黴臭かった。炎天下の竹林の外は白く輝いていた。眩しかった。喉が焼けるように渇いていた。竹林の奥から子供の声が聞こえて来た。香ばしい匂いがした。焚火をしていた。よく見ると甲虫を焼いていた。子供は栗の皮をむくように虫の甲羅を剥いで、その中身を口に入れた。旨そうに見えた、その瞬間、私は逃げ出したくなった。彼は握り締めていた包丁の切先をこちらに向けた。顔が笑っていた。滅多刺しにされると思った。私は足が遅いからすぐに追い付かれてしまう。仕方ない、素手で立ち向かってやれ。しかし私は朽ちかけた物置小屋の裏に隠れて息を殺していた。牛の糞が鼠色の泥土の上に落ちていた。静かだった。知らぬ間に追手の姿は消えていた。私は藁の積まれたトラックの荷台に寝ていた。青空が落ちてきそうだった。背中が冷たくなった。私は砂浜に捨てられていた。右腕が砂に射し込まれていた。掌は手榴弾を握り締めていた。空は曇っていた。悪魔が私の中から噴き出して来るのを抑え切れなくなった。私は生乾きのセメントのような砂浜を掘り始めた。爪が割れ、出血したが、夢中になっていた。宝函が現れた。棺桶だった。扉を開けるとダイナマイトが隙間なくぎっしり詰まっていた。満員電車が走っていた。あちらこちらに黒い車が停めてあった。我が子を血眼で捜す母親の姿があった。怖くなった。暗い底が口を開けていた。落ちる、堕ちて行く、悪魔の顔の私は恐れていた、テトラポットの下、砂の下にあいつを埋めた事が発覚し、大変な事態に発展する事をー。

 

夢の中の出来事 (4)

 

 

 ー私はある大きな橋の錆びた欄干に凭れてぼんやりと空を見上げていた。飛行機が無数飛んでいた。ジグザグな飛行を繰り返していた。何の訓練をしているのだろうか。目を放した隙に、天は渦を巻き、深く窪み、中から光が現れた。無数の戦闘機は突然旋回すると、虫のように光へ集まり、群れ動き、やがて熔けたタールを滴らせた黒く巨大な海月に形を変えた。手を伸ばせば触れそうだった。茜色の空を背景にしてそれは恐ろしいほど美しかった。私はその場に平伏していた。長いこと地べたにへばり付いていた。そして案の定、それは内に怒りを溜めた、岩のような鋳鉄の塊、よく噂に聞いている、あのB29に形を変えていた。頭上に来ていた。静止して、私の腹の中を探っている。どのくらい腹黒いか探っている、私の腹の内側を嘗めるように探り、探り終えた怒りの主が、かたるしすのボタンを押そうとしている、今にも圧し潰される、地球がへこむ、こんな時に背中が痒くて我慢出来なくなった。でも背中に手が届かない。醒めた笑いが込み上げて来た、とその時、背中と腹に冷たいものが確かに触れた。挟まれている。でこぼこの万力に圧し潰される。背骨がへし折れ、破裂する。木端微塵に、消えてしまう。胸の上に犬が乗っている。私の顔を舐めている。これは夢ではない。こうして、実際に、私は犬と橋の上を歩いている。砂埃が舞い上がった。目が痒い。ぼりぼり目の周りを掻いていると犬は眩しい光の中の見知らぬ人の方へ駆けて行った。私はまた独りになった。溜息をつき天を仰いだ。青い空に透明な物体が静止していた。回転していた。まずい、見てしまった。私は足元に敷かれている腐った茣蓙の上に四つん這いになった。丸いレンズは細胞が分裂するようにその数を増やしていく。どんどん増えていく。橋が揺れ出し、見たくもない光景が目の前に現れた。乱立する摩天楼の上、茜色の空全体を、びっしりと、ガラスの、レンズの円盤が埋め尽くしていた。このままだと世界が終ってしまう。陽が昇る前に塹壕に隠れなければならない。私は虫眼鏡を手にした子供に狙われる蟻のように逃げ回り、そして焼き殺されてしまうかもしれない。私は自転車のペダルを漕いでいた。ポプラ並木が見えた、その途端、よろめき、崖下の暗い谷底に転がり落ちた。私は蟻地獄の砂の斜面に張り付いていた。このままだと滑り落ちてしまう。心臓が踊りだした。服の中に砂が入って来る。ズボンは砂で膨れて重い。髪切虫が待っている。谷底で待っている。牙を剥いて待っている。喰われるか窒息だ。口の中は砂でじゃりじゃりしている。往生際が悪い。私は砂に顔を埋め、砂を飲み込もうとした、その瞬間、何かが私の襟首をぐいと掴み、私を洞穴の中え引きずり込んだ。公園の砂場にいた。首まで砂に埋もれていた。浴衣の女がブランコに乗っていた。揺れていた。白い足を振り上げて、勢い良く漕いでいた。肌が透けて見えていた。顔は長い黒髪に覆われていた。結婚前の、遥か昔の、妻に似ていた。周りには誰も居なかった。私は段ボールの上に寝ていた。生暖かい風が吹いて来た。ブランコが天高く跳ね上がった。女は私の軀の上に圧し掛かって来た。裸だった。肌が濡れていた。艶めかしく、狂おしかった。赤く柔らかそうな唇が目の前にあった。触れようとすると、開いた唇の奥、鋭い犬歯を私に見せた。蛇の血が鼻腔の付け根に向かって這い上がって来る。妻への裏切りになる。後ろめたい気持ちになった。しかしもう手遅れだ。ズボンの中の砂が動き出していたー。

 

夢の中の出来事 (5)

 

 

 ー私はシベリア行きの夜行列車に乗っていた。窓の外を魚が泳いでいた。魚は皆黒く、眼がなかった。退化したのかもしれない。列車は青函トンネルの中を走っていた。私はシベリアの荒野で発見されたという生きた恐竜を見に行く為に列車に乗っていた。けっして私は矯正脳病院の手術魔の手から逃げていたのではなかった。誰かが咳をした。周りを見渡すと皆どこかで見た事のある顔ばかりだった。名前はどうしても思い出す事が出来なかった。隣の男が鼾を掻き始めた。誰もが皆疲れ切っていた。何か気だるい、重い空気が漂っていた。どこかが変だ、さっきとは様子が違う。私は新聞を読んでいる振りをしてちらりと辺りを窺った。老人ばかりだった。皆眠り込んでいた、働き過ぎが原因なのか。たぶんこの列車に乗っているであろう私の父や母、妹、妻も子供も皆年寄りになっているに違いない。不安になり、私は窓を見た。やはり思ったとおりだった。私も老けていた。髪も無く顔中皺だらけだった。良く見ると皺は無数の傷跡だった。この傷は何時つけられたのだろう。髪も禿げたのではなく、剃られていた。まだ若かった。でもどうしてだろう、不思議だった、私もタイムマシンに乗っているのに。私だけが特別なのか、それとも特殊な体質のせいなのか、私の頭の後ろには小さな角が生えていた。列車は火の粉を撒き散らしてプラットホームを通り過ぎて行った。取り残された私は歩いていた。眩しい白い光を反射する水の周り、プールの周りを歩いていた。誰も泳いではいなかった。水草が波に揺れていた。川底を覗くと黒い魚が泳いでいた。眼が無く、背骨が曲がっていた。ああ、これはきっと近くの化学工場から垂れ流されたダイオキシンのせいだろう、田圃の水も腐っていた。私は魚を突くのを止め、銛を川に捨てた。雨が降って来た。どぶの臭いがした。川の底から、あぶくが湧いて来る。酸っぱい臭いで舌が痺れて来た。吐き気がする。辺りが急に暗くなり、土砂降りになった。山は荒れていた。雷が地面を這っていた。空を見上げると、雀蜂の群れに交じって、烏が人を銜えて飛んでいた。川に年寄りを残して逃げた事を後悔した。川底に沈んだ列車の中の父や母、泣く妹、そして白髪頭の妻の顔。子供は喰われていた。私は急な坂道を登っていた。歯を食いしばり登っていた。ごろごろと石が流れ落ちて来る。朱黒い鳥居が見えた。傾いていた。白蟻に喰われて、孔だらけだった。水筒の水を口に含み、吐き出した。豚の屍骸があちこちに散らばっていた。蛆が湧いていた。皮膚を破って蠢いていた。烏が飛んでいた。山の頂はもうすぐだった。雪が降って来た。辺りはしんと静まり返っていた。星の音が聞こえそうだった。地面には氷柱が生えていた。にょきにょきと筍のように生えていた。足の踏み場もなく、転ぶ事さえ出来なかった。こんな狭い所で私は膝を抱えて凍死したくはない。マンモスのように、氷に閉じ込められて発見されたくもない。私は凍りついた薄いガラスのようなスケートリンクの上に立っていた。みしみしと氷の裂ける音がした。後ろを振り返ると、小舟に乗っていた、子供を背負った妻が、笑っていた、銛を手にしてー。

 

 

 

 

 

 

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